●佐藤勇人さん:
Q:どういったことがきっかけで、この追悼試合をやろうと思ったのですか。
「日本中でイビチャ・オシムさんが亡くなったというニュースをいろんなところでやったりとか、メディアさんが取り上げてくれたりとかして、自分も出たんですけど、『日本から離れている人がまたこうやって、今でも生き続けているかのように取り上げてくれている』ということに対して、これはやっぱりジェフが何かやらなくちゃいけないということで、クラブに追悼試合をやりたいと伝えたことで始まったんです。それで、やるからにはオシムジェフとオシムジャパンとでということで。オシムジャパンのメンバーの人たちも、オシムさんに対する想いがやっぱりメチャメチャ強いので」
Q:勇人さんは今、ジェフのCUOという立場ですが、いろんな責務、職務からこれはやらないといけないということで、クラブに話を持っていったのですね。
「そうです」
Q:今日の追悼セレモニーでは、DAZNのドキュメンタリーで勇人さんがオシムさんと話した映像が流れていました。
「最後にオシムさんと直接話したのが自分だったんですね。あの映像の時が最後で、ほかの選手はオシムさんと話をすることができなかったので、オシムさんが亡くなる前に最後に話をした選手が自分だというのは、何か意味があるんじゃないか、理由があるんじゃないかと思って、どうにかこういうことをやりたいという時に選手全員に声をかけたら、みんながやっぱり『オシムさんのためだったら千葉まで行く』とか言ってくれたんです。今、(W杯に関連する仕事で)カタールに行っちゃっているメンバーたちも『いや、もう、オシムさんの追悼試合に行きたい』とか、J3で戦っているメンバーなんかも『(J3リーグ戦の)最終戦がなければ、そっちに行きたい』とか、本当にビックリするぐらいみんながそういうふうに言ってくれました」
Q:それは勇人さんが全員に電話とかしたのですか。
「はい、そうです。映像(=追悼セレモニーで流れた、今日、参加できないメンバーからのメッセージ映像)に出ていた高原(直泰)さんも、あれだけのキャリアを持っていろんな監督に教わっていると思うんですけど、ああやってオシムさんはトップだったっておっしゃっていましたし、やっぱりみんなに与えた影響は大きかったと思います。あとは、自分が(追悼セレモニーで)最後のスピーチで言いましたけど、やっぱり日本人のサッカーに対して『日本化』ということをオシムさんは言っていて、これって答えを見つけることはなかなか難しいと思うんですよ。一人ひとりが『じゃあ、自分に何ができるのか』って考えることをたぶんオシムさんは敢えて残したんじゃないかなと、ああいう強烈なメッセージを」
Q:オシムさんは『日本化』の仕上げのところで倒れてしまったので、『あとはお前たちで頑張れ』ということかもしれないですね。
「はい、そうです。それぞれで」
Q:実際には、何人ぐらいに電話したのですか。
「今日、出たメンバーにプラス、カタールに行っているメンバー、J3で出ているメンバーの全員ですね。ジェフのほうでは水本(裕貴)はJ3(のSC相模原)ですけど、あとのメンバーはほとんど来てくれました」
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