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【過去からの便り】劇的で鮮烈だった坂本將貴のJ1リーグ戦デビュー(2001年)

劇的で鮮烈だった坂本將貴のJ1リーグ戦デビュー(2001年)

2015年06月13日 17:57 by akanuma_keiko
2015年06月13日 17:57 by akanuma_keiko

 

あまりにも劇的で鮮烈なJ1リーグ戦デビューだった。今から14年前の6月16日に開催されたJ1リーグのファーストステージ第11節・G大阪戦。坂本將貴は先制ゴール、そして116分のVゴールで千葉(当時は市原)を4-3での勝利に導いた。


日本体育大学時代は攻撃的MFで活躍した坂本は2000年に千葉に加入したが、2月のJリーグの新人研修取材時に話を聞くと「キャンプではボランチをやらされて、攻撃的なポジションでは全然使ってもらえない」と嘆いた。結局、ルーキーイヤーは攻撃的なポジションでスタメン争いに勝つことができず、トップの公式戦に出場することなく終わった。

2000年シーズンの終盤に就任したズデンコ・ベルデニック監督(当時)は、坂本の粘り強さや労を惜しまない動きを評価し、清水と対戦した6月13日のヤマザキナビスコカップ2回戦の第1戦で、当時は中西永輔がレギュラーだった右ウイングバックのスタメンに抜擢した。坂本は対面のアレックス(のちに帰化して三都主アレサンドロ)の攻め上がりを抑える役割を任されると、チームの無失点勝利(スコアは1-0)に貢献。だが、前述のG大阪戦のスタメンはやはり中西で、千葉のメンバーはスタメンが櫛野亮、茶野隆行、ミリノビッチ、吉田恵、中西、長谷部茂利、武藤真一、村井慎二、ムイチン、大柴克友、崔龍洙で、サブメンバーは立石智紀、田畑昭宏、山本英臣、坂本、林丈統だった。

千葉は試合開始後の早い時間にアクシデントに見舞われた。14分、3バックの右ストッパーでプレーしていた茶野が負傷。担架に乗せられてピッチ外に出ると、そのままロッカールームのほうへと運ばれて行った。代わりに出場したのが坂本で、坂本が右ウイングバックとなり、中西が右ストッパーへ移った。19分、G大阪は遠藤保仁のFKから山口智がどんぴしゃのタイミングでヘディングシュートを放つが、千葉はGKの櫛野が正面でキャッチした。ピンチをしのいだ千葉は23分、左サイドをドリブルで攻め上がった村井の崔へのパスはDFにクリアされるが、こぼれ球を拾った村井のクロスに坂本がファーサイドで合わせたスライディング気味の右足のシュート。これが決まって先制した千葉だが、ディフェンスラインの裏へ斜めに入れるロングパスを多用するG大阪に押し込まれ、次第にセカンドボールが拾えなくなった。先制からわずか5分後、G大阪は遠藤がFKを素早くリスタート。遠藤のパスを受けてドリブルするG大阪のビタウを坂本はマークしきれず、同点ゴールを奪われてしまう。39分には吉原宏太に得点されてG大阪に逆転を許した。

前半同様に攻め合う後半。前半から機を見て攻め上がっていた坂本が絡んだ58分の得点機は崔のシュートがゴールポストの横に外れたが、65分、相手ボールをカットした武藤のパスから崔がシュートを決めて同点。しかし、その3分後、G大阪は遠藤のCKに新井場徹が頭で合わせて得点し、再び千葉を突き放す。千葉は何度もゴールに迫るがチャンスをモノにできず、敗れてしまうのかと思われた89分、千葉のムイチンのFKをG大阪のGKの都築龍太がファンブル。ゴールライン際にこぼれたボールを70分に交代出場した林が折り返すと、飛び込んだ崔が右足でボールを押し込み、土壇場で千葉がまた同点に追いついた。

延長戦の前半は両チームとも決定機を作れなかったが、延長後半の106分、G大阪はビタウがドリブルから決定的なシュート。だが、ボールはゴールポストの横に転がって千葉は助かった。そして、116分、千葉は左サイドでムイチンが前にいる林にロングパスを出す。このパスをG大阪の山口はカットしきれず、林のクロスに逆サイドで合わせたのは坂本。ゴール前に飛び込み、左足のシュートで奪ったゴールが千葉に勝利をもたらした。

デビューしたJ1リーグ戦でヒーローとなった坂本は、試合後にこんなふうに話した。
「J1リーグのデビュー戦で2得点の選手はいるかもしれないけど、Vゴールはあまりないでしょ。Vゴールはマイナスのクロスが来たことしか覚えていない。龍洙が競った、その裏のスペースに走りこんだけど、中に入ろうかどうか迷った。先制ゴールもVゴールもいいボールが来て気持ちよかった。自分の出番がいつ来てもいいように準備していたので問題なかったし、前の試合(清水戦)のことがあったので緊張感なく心の準備もできていた。前回の試合は守備が中心だったけど、今日は攻撃もできたし、楽しく試合ができた。ドリブルは自分の特長ではあるけど、試合でやっていくうちにだんだん出せるようになった。勝負して相手を抜ける自信はあったけど、(トップ下の)ムイチンは左利きなのでは左サイドにパスが出ちゃうことが多かったと思う。先制したあとに同点にされたのは自分のミスからだったので、ああいうところは厳しくやらないといけない。去年は全然試合に出られなくて悔しくてたまらなかった。去年は遠慮してしまうところがあったけど、プロの世界ではアピールしていかないといけないと思う」

Jリーガーとしての坂本は他にも得点やアシストで活躍した試合があったが、個としてはこの試合が最も華々しい活躍を見せた試合かもしれない。だが、坂本の本当の魅力は、そのプレーがどんなに些細で地味に見えたとしても、チームメイトが苦しい時にこそ必死に走り、体を張って仲間を助け、さらに精神面でもタフにチームを支えてきたところだ。

また、このG大阪戦では茶野が右のふくらはぎの肉離れで負傷交代のアクシデントに加え、村井が右肩の脱臼で前半だけでピッチを退くアクシデントもあったが、代わりに出場した山本もまたチームを支えるプレーで勝利に貢献した。さらに、2ゴールと活躍した崔は「韓国代表の試合で右足の太ももの裏側が痛かったが、もう大丈夫。でも、体調は80パーセントくらいだった。自分にとっては毎試合何ゴールを決めるかということよりもチームプレーのほうが大事。自分の2点目だった同点ゴールはすごく嬉しかった。でも、今日の2ゴールは仲間と一緒に戦った結果だ」と話し、万全のコンディションではなかったにもかかわらず奪った2ゴールをチームメイトのおかげと喜んだ。

自分が苦しい時はチームメイトも苦しい。だからこそ、自分は楽をしようとはせずに、全力を尽くして自分にできるプレーでチームメイトを助ける。2001年シーズンの千葉がクラブ史上最高位の年間順位3位となった要因はいろいろあるが、どんな時もチームメイトを助けようとすることを優先する選手たちがいたのも一つの要因だろう。

reported by 赤沼圭子

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